202号室: 金魚

天国までの階段は、人間が想像するような、純白でつるっとしたエレガントな階段ではなかった。それは、山のてっぺんに建てられた古い神社に続く階段のようで、一段一段の高さがそろっていなくて、表面がぼこぼこしていた。

 

私は金魚として死んだから、エレベーターを使うことができた。足がない生き物は特別にエレベーターを使うことが許されているのだ。私は金魚として死んだことを嬉しく思った。

 

昨日のお昼ごろ、綺麗に掃除された広すぎる水槽の中で、私は死んだ。死因は老衰だ。

金魚にしてはいささか長生きしすぎた。特に心残りもなく、やり残したこともなく、苦しむこともなく、最後を迎えることができたのは、他でもない私の飼い主様のおかげなのである。

 

飼い主様は、ある夏の終わり、家の裏にある神社のお祭りで私を掬ってくれた。大きなお祭りだったから、屋台の数もかなり多く金魚すくいのお店もいくつかあった。その中から、私が泳いでいた(売られていた)お店を選び、250円払い、ポイを受け取って、真剣に優しく私を掬ってくれたのだ。今思えば運命以外のなにものでもない。彼の視線はずっと私の上に集中していた。私は恥ずかしさを隠しきれず、体中が真っ赤になったのを今でも覚えている。私はその瞬間恋に落ちたのだ。彼に掬ってほしくて、抵抗することなくゆっくり深呼吸した。

 

エレベーターはがこっと突然止まり、なんの躊躇もなくドアが開いた。少しだけドキドキしながらエレベーターを降りると、そこには神様がいた。緑色の野球帽をかぶり、足を組んでパイプ椅子に座っている。昭和のドラマに出てくるような、がっしりとした灰色のデスクに左ひじを付き、眉間にしわを寄せて何やら難しい資料とにらめっこしている。

 

「こんにちは」と私は言った。

「はいはい、あなたは…金魚ね」と神様は早口で言った。

「今日は色んな生き物がやってくるのよ。蟻にヒョウに神経質な象。それからウサギにラバにロバに。ラバだってロバだって私はどっちでもいいのよ」

何と答えればよいのか分からなかった私は、

「一日中パイプいすではお尻がつらいでしょうね」と言った。

神様に私の言葉は届かなかったようで、机に広がった膨大な書類をガサガサめくったり、紙にサインをしたり、野球帽を脱いで頭をかいたりしていた。しばらくすると、ハアー!っと大き目のため息をついて、

「私はあなたの来世を決める神様です。」と、今まで数え切れないほど言ってきたのであろう決まり文句を、もう神様やめたいという雰囲気をかもしだして言った。

「あなたの希望をききます。できるだけ希望に沿うようにしますが、まあ数に限りがあるから、第一希望になるとは限りません。その場合はあしからず」

「数に限りとは…どういうことでしょうか?」

「だからー。例えば、来世あなたは亀になりたいとする。でも私はOKとは言えないの。なぜなら亀はとっても人気だから、もう今年のリミットを越えているのよ。今年、来世亀になっていいのは…2万5632匹。もう2万5632匹が来世で亀になることに決まったの。すごいでしょ?だからあなたはなれない。OK?」

「私は亀にはなりたくないです」

「それはよかった。じゃあ何がよいかしら?私としては人気のないミカヅキモなんか希望してくれるとありがたいんだけど」

「残念ながらミカヅキモにもなりたくはないです」

「そうよね、私も嫌よ。神様の次はミカヅキモなんて。もう人生ついてないって感じ」

私は少し考えて、

「私、羽がほしいです」と言った。

 

私が住んでいた水槽は、飼い主様の部屋のベランダ近くに置かれていた。おかげで、カーテンが閉められる夜の時間帯以外は、外の広がる世界を眺めることができた。そこには、羽を持つ生き物がしょっちゅう現れた。私は、身体の左右についた2対の羽を広げて、水色の天井を自由に飛び回る生き物にかすかな憧れを抱いていた。

「羽ねえ。じゃあオーソドックスに鳩はどうかしら?幸せの象徴やらなんやらで人間に重宝されるわよ、きっと。それかクリオネは?あれ、人気急上昇中よこの頃」

「クリオネ?」

私がクリオネを知らないと言うと、神様はクリオネの写真を見せてくれた。それは私が憧れていた水色の天井を飛び回る生き物ではなかったので、私は首を横にふった。

「心臓まですけすけじゃ、何もかも見透かされそうで」

神様は私の顔をじっと見ると、にこっと微笑んだ。そして、一応と言って鳩の写真も見せてくれた。公園のベンチで人間がお菓子を豪快にこぼしてしまったところに、何十羽ものグレーの鳥がやってきて、群がり、やれ我先にと必死で地面をつついている様子を撮った写真だった。私が憧れていた羽を持つ生き物とはだいぶ違っていて、とてもがっかりした。

「これが幸せの象徴ですかあ・・・深すぎてよく分かりません。」

 

ベランダから見えた水色の天井を、羽を持った生き物たちが泳いでいく。昨日までそんな景色を当たり前に見ていたのに、もうこれから先見ることができないと思うと、なんだか不思議な気持ちになった。そして、もう飼い主様に会うことができないということを、唐突に悟った。

 

飼い主様は、私のことを心から愛してくれていたと思う。何しろ私は彼に恋をしていたから、見られるのが恥ずかしくていつも水槽の端に丸まっていた。私は彼に愛想を振りまいたこともないし、媚びた態度だって一度たりともとったことがない。なのに飼い主様は毎日欠かすことなく決まった時間にエサを与えてくれた。そして私がちゃんとエサを食べたことを確認して微笑みかけてくれたのだ。水槽が汚れると丁寧に私を掬いだし、一時的に金魚ばちに移して、水槽を掃除してくれた。私は優しかった飼い主様のことを思い出して、少しだけ悲しくなった。

 

飼い主様はとても優しくかったけど、いつも悲しそうな目をしていた。私が彼の家の水槽に住んでいた間、一度も「友達」らしき人間が遊びに来たことはなかった。考えてみれば、長年同じ部屋で暮らしていたのに彼の声を聞いたことがなかった。飼い主様はどんな声をしていたのだろう。私は飼い主様の声も聞かずに簡単に死んでしまったことを後悔した。

 

窓の外の天井が水色になると、彼は顔を洗い、歯磨きをして、服を着替えた。私は服を着替える彼の背中を見つめることが好きだった。しばらくすると、彼は玄関のドアを開けてどこかへ行ってしまう。

天井の色が濃い青になる頃、彼は玄関のドアを開けて戻ってきた。天井が黒くなると、間接照明をつけてTVを見たり本を読んだりした。私は一緒にTVを観ることが好きだった。

彼は優しくて悲しい目をしていた。ひどく孤独だった。でも孤独から抜け出そうとはしていなかったし、孤独を愛しているわけでもなかった。ただ日々を繰り返し繰り返し繰り返すことで、なにか罪を償っているような背中をしていた。

 

「羽があって自由に空を飛びまわれる・・・あとは天使ね。あ、天使いいじゃない!どう!?」

神様が大きな声を出したので、私は我に返った。神様は、名案を思いついた!という顔をして、私の目の中をじっとのぞき込んでいる。

「天使になれば、人間に恩返ししたりできるのでしょうか」

神様にそう尋ねると、神様は驚いた顔で、

「オンガエシ?考えたことなかったわ。もちろんできるわよ。恩を仇で返すことだって可能よ」と相変わらず早口に言った。

「じゃあ・・・天使でお願いします」

私はそう言うと、少しだけ口角をあげた。それから軽くお辞儀した。

「決定—」

神様はそう言って、書類に「テンシ」と書き込んだ。とてもとても汚い字だった。

 

私はこのようにして、来世で天使になることになったのである。

 

 

金魚                             

 

前世は金魚だったから

今度は羽が欲しいわ

でもクリオネは嫌よ

心臓まですけすけじゃ

耐えられない

 

屋台が並ぶ縁日で

掬ってくれたのは君

それは昔々の記憶

僕を救ってくれた

 

君を探してた

一言お礼を言いたくて

恩返しをしたくて

 

今君の体内に潜り込んで

光が射すようにカーテンを開けたい

君のため息 君の迷い

シャボン玉につめて飛ばしてみせるから

心臓で僕を飼ってくれ

 

君の左手にぶら下がる

小さな海の中から見た

ぼやけた世界

それは希望に満ちた世界の片隅

 

賽銭を投げ入れて

両手を合わせた君が

あの日何を祈ったのか

僕には分からなかった

 

羽を授かった

僕は天使になりました

お力になりたいのです

 

今君の体内に潜り込んで

暗闇から悲しみから君を救いたい

心の奥 癒えぬ傷も 

魔法の優しさで 溶かしてみせるから

心臓で僕を飼ってくれ

 

金魚掬いのポイが何度破けてしまっても

今度は僕が掬ってみせる

君を救ってみせるさ

 

あわゆいがボーカルのユニット

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