
那須と宇都宮
誕生日は春分の日。(たまにずれるけど) 今年は、那須の温泉で1泊、宇都宮に1泊してきました。 ちなみに宇都宮のホテルは、当日探して予約したのですが、一泊なんと2400円…! じゃらんのポイントを使って1900円。 びっくりする位きれいなホテルで、ホテル暮らしに切り替えたくなりました。 那須の思い出は、夜見上げた星と月。 降ってきそうな星と、お月様の明かり。月明かりってとても明るいって忘れてた。 本当にきれいなものを見ると、 カメラを向けようとは思えなくなる。 できるかぎり、自分の目で、自分の脳に焼き付けようと思う、のね。 そんなロマンチックな思い出とは裏腹に、宇都宮ではがつがつ食い倒れましたw 餃子は、みんみん・元祖宇味家・宇都宮餃子館の3件をはしご。 正嗣(まさし)も食べたかったけど、行列の長さを見て惜しくも断念。 やっぱり、みんみんが一番美味しかったなあ。
豆電球のやさしさ
あわゆい、年をとりました。 大きな節目ということで、 作業部屋の裏紙を読み返しながら整理してました。 毎日、裏紙にぐちゃぐちゃと書き出す(吐き出す)ことが日課なのです。 歌詞風だったり、To doだったり、夢だったり、思考整理だったり、ただの愚痴だったり。 それで、裏紙の一枚に、 「豆電球のやさしさ」という殴り書きがあって 思わず手を止めました。 その殴り書きが意味するところは、 「私、誰かの豆電球になりたいな」。 蛍光灯じゃない。それは誰か他の人の役目。 私は、 誰かが暗い気持ちになった時、ふさぎ込んでいる時、 真っ暗闇に迷い込んだ時、 そっと灯る豆電球でありたい。 今まで全然気づかなかったけど、こんなところに豆電球あったんだ。 そんな存在でありたい。 オレンジの灯りでちょっとだけ寄り添わせてもらえるような、 そんな存在になりたい。 あーぶれてない。よかったあ。 このままゆっくり、されど、強く、進んでいこうと思います。 ああ心拍数あがるー!待ってて私の未来!

デリシャスデンジャラス。
幸せになる食べ物を 口の中に放り込み、 大事に大事に咀嚼し、 私の体の栄養となりました。 (訳:ケーキ食って太ったよー) ベリーとイチゴのタルトと、マカロンケーキ。 無意識にスマイルでちゃう、彼らの魅力は深い。

俺のイタリアン
母が上京されました。 だだーーん!!(母、東京の地に降り立つ音) ずっと行きたかったという「俺のイタリアン」に二人で行ってきました。 俺のイタリアンJazzは初めて。今回は、ジャズシンガーとオルガニストの方の演奏でしたー!しかも席が最前列で、テンションup!!!! 表情も手元もぜーんぶ見えちゃって。こんなライブやりたいなーーーー! レベルの高い最高の音楽と、最高のフード。 フォアグラ、アワビリゾット、うにキャビアジュレ、などなど。至福の夜を過ごしました。

ソファーのはしっこ。
あわゆい、詩集を読んでいる様。

3/13 (日) 下北沢Blue Moon Live
昨日は下北沢のBlueMoonでライブでした! Blue Moonの雰囲気が大好きでとてもとても楽しみにしていました。 今回は、「カユケの森」という名前で出演しました。 あわゆい「か」なこ、ふかだ「ゆ」ずる、ごとう「け」んじ、でカユケの森です(笑) 全体的にボサノバアレンジでお送りしました♪ 「世界の入口」や「理想の夜の過ごし方」をボサノバ風にアレンジしたら、曲たちが生き生きして感じました。スーパーパーカッショニストとスーパーギタリストに感謝です。 今回もMCはダメダメでしたが、あったかいお客様に支えられて、楽しくあっという間の時間でした。 演奏後CDもたくさん買っていただいて、 嬉しすぎるあわゆいが「サインがいい?ちゅーがいい?」と尋ねると、 「サインで」としっかり断られて苦笑いな、そんな夜でした。 聴きにいらしてくれた皆様、ありがとー! セトリ:
Waltz for debby
Gift
現状維持
寄り添う
Over the rainbow
世界の入口
理想の夜の過ごし方

あわゆいの写真パネルと詩集
先日お電話をいただいた方に、CDを11枚お届けしに行ってきました。 そう、アー写撮影してた時に、声をかけてくださった方。家が昔スタジオとゆーのことで、招き入れてくださって、家の中でも写真撮影をさせていただきました。 お礼にCDを渡したのですが、その後お電話いただいて、CDを10枚(できれば11枚)買いたいと言ってくださったのです。 待ち合わせ場所に、おばさまは大きな荷物を持って現れました。 喜んでもらえるといいわ、と言って渡してくださったのが、あわゆい写真のパネルと詩画集。 嬉しくて震えました。こんなサプライズプレゼント、惚れてしまいますおばさま。 写真は、そのおばさまの自宅で撮影させていただいたもの。後日現像して渡しにいったのですが、それを引き延ばして飾れるようにパネルにしてくれたのです。 何枚かお渡しした写真からこの1枚をピックアップしてくださったのも嬉しくて。この薄暗くて不気味な感じを、あわゆいから感じ取ってくれたことが。 「このゴム手袋の感じがいいわよねえ」 とおっしゃっていました^^ そして、きっと大切に大切に保管されていた詩画集をくだ
古いブログから ~東日本大震災、体験記⑪
2011/07/29 13:54 東京にいる彼の父が飛行機のチケットをとってくれた。
本当に感謝でいっぱい。
であると同時に、家族や親戚みんなをこんな混乱の中において東京に戻るのがとても悔しかった。
まだ両親はお風呂に入ってない。
全然元通りの生活に戻ってない。できることなら仙台に残って、みんなと一緒に戦いたかった。
しかし、東京に戻ってやるべきことが山積みだ。被災地を外側から見て、どんな行動をとるべきか考える、それが私にできることだった。
飛行機の便が朝早かったため、山形で一泊することになった。しかし、考えることはみんな同じ、山形のホテルはほとんど空いてなかった。高級旅館が一部屋空いていたので素泊まり予約していた。
出発の日、両親が駅まで見送りにきてくれた。車は動かないので自転車で。
山形行きのバス停には、もう沢山人が並んでいた。電気、ガスが途絶えていないお隣の山形に言ってお風呂に入ってくる人も多いのだ。
両親も一緒に行ってお風呂に入ればいいのにと誘ったが、あまり気乗りしないようだったので無理は言わなかった。両親も、

古いブログから ~東日本大震災、体験記⑩
2011/07/28 19:43 どこまでも自転車
祖父母の家、その近くの親戚の家、二人のおじさんの家。全部自転車で回った。電話がつながらないから、生きてるかどうかも分からない。実際に行ってみるしかないのだ。
そうやって留守にしている間に、おじーちゃんがうちまで来たらしい。
すれ違いになってしまった。
後から聞いたのだが、おじーちゃんはうちまで歩いてきたらしい。無事かどうか心配してきてくれたおじーちゃん。ありがと。 ともかく、毎日自転車で走り回った。朝早起きして、自転車を30分以上漕いで穴場のスーパーに行き、自転車に積めるだけ積んで親戚の家を回った。
寒いが、自転車漕いでるうちに汗をかく。でもシャワーは出ない。
おしりふきシートで全身をふく。
へとへとになって家に帰ると今度は水汲み。
ペットボトルを持って15階から下り、近くのコミュニティーセンターで水をくむ。
そして、再度15階まで、1.5ℓのペットボトルを4本持ってあがる。
その時は辛いとさえ思わなかった。
生きるためだ。
それに私だけじゃない、みんながやって
古いブログから ~東日本大震災、体験記⑨
不安要素 2011/07/27 19:39 地震後、3週間被災地にいる間、もくもくと街全体を覆っていた不安要素をここに書いておく。
今後またどこか違う場所で災害が起きたときに、ひとつでも一日でも早く解決するように。
【余震】
当たり前だが毎日余震がきた。電気が戻るまではロウソクも使っていたから、大きな揺れがきたらすぐ吹き消すように気を張っていなければならなかった。いつまで地震が続くか分からないから、本震で倒れたキッチンの棚はとりあえず倒したままにしておいた。落ち着いてきたら起こせばいいと思ったけれど、一体いつ落ち着くのだろう。
【ガソリン】
地震から一、二日目、ガソリンスタンドに長蛇の列。1時間や2時間待ちというレベルじゃない、一日がかりだ。
私の家族は諦めた。車のガソリンは底をついた。
ガソリンスタンドのガソリンも入荷待ちになった。
それでも長蛇の列はなくならなかった。ガソリンがないガソリンスタンドに並んで夜を明かす車もあった。私は諦めた。自転車で行けるところまで行くのだ。
死んでしまった車はただの箱になった。きっと何日か