家を持つこと、空き家、多拠点生活、定額住み放題
夢のマイホームってなんだい。 家を持つことは負債を持つこと。ずっとそんな風に思ってた。 だって色々な場所に住んでみたいし、 海外住みたいと思ったらすぐ行きたいし、 家買っちゃったらそこに縛られそうだし、 買った瞬間に建物老いていくし、、、 フットワーク軽くいたいじゃん。 色んな場所住んでみたいじゃん。 そんな軽めのマイポリシーがあって、東京にいた頃、賃貸の家は更新せず2年ごとに新しい場所にお引っ越ししてた。 人呼んで、引越しおばさんw 更新料とか訳わからんシステムにお金払うくらいなら引っ越し代に充てて、新しいドキドキを手に入れるんだ…! 目標は東京23区制覇! そして住んだ場所で図書館カード作って23枚集めるんだ~なんて思ってましたが、結果的には全然集められませんでした。 西東京市、新宿区、豊島区、中央区、葛飾区の5区。 /最後の方なんか、家が気に入っちゃって2回も更新料払っちゃったし。 東京にいて思ったことは、日本はこんなに空き家問題で騒いでるのに、ビルやマンションは建ち続けるんだねー不思議。 2033年には空き家率27.5%という予想も。4つ
TTATツアーという旅
実は、去年東京を後にしてから1年が経ちました。 TTAT(Tokyo To Amami Tour)と題して、東京から奄美大島まで約3か月間かけて車で移動しながら南下し、途中音楽を奏でながら、カピバラのいる動物園・水族館を回りながら、12月に奄美大島に到着しました。 コロナ渦ということもあり、大っぴらにリアルタイムで旅をしている!ということは避けて、TwitterやInstagramで最低限「元気にやってます」的な投稿のみに留めていましたが、 少し時間が経った今、濃厚だったこの3か月の旅を振り返っていきたいなーと思います。 大人になってから、こんな風に自由に旅をすることがなくなってたなあ。 翻訳のフリーランスとなって、実は東京に居る必要なんてないのに、なんとなく東京に住み続けていました。 この旅を通して、東京に住み続けていたら絶対に出会えなかったような、とっても面白い生き方を選んでいる人にたくさん出会えました。 生き方って自分次第で、こんなに自由に人生を運転できるだなあと。 自分が生まれたこの小さな国でさえも、まだまだ知らない場所があって、 「知り
行く、帰る、戻る、
ステント交換手術無事終わりました! 今回は、術後のダウンタイムがほとんどなく、次の日から元気。 膵臓の値だけいつも謎に上がるので、一日だけ絶食して、食事も再開となりました。 今までで最短で退院できましたー! 東京で会いたい人、行きたい場所、たくさんあったのだけど 今回もぎゅーっと抑えて、病院以外はどこにも寄らないで帰ってきました。 もっと堂々と、もっとフットワーク軽く、奄美と東京を行き来できるようになればいいなと願っています。 そいえば、この頃どこに行くのか、帰るのか、あるいは戻るのか、 自分でも分からなくなってきました、いい意味で。 東京に「戻る」気もするし、奄美に「帰る」気もするし、私にとってのHOMEの概念が変化してきているようです。 もちろん実家がある仙台は帰る場所なのだけど、 いろんな場所に対して「帰ろう」と思えるのは、なんだろう、とてもやさしい気持ちになれるのです。 HOMEはいくつあってもいいもの。 地理的な意味でも、ずっとお世話になっているお店とか、より具体的な場所でも。 帰りたい場所いっぱいだー!
翻訳モード終了、ステント交換
去年のブログを見返したら、ほぼ同時期にほぼ同じようなこと書いてました。 翻訳モード2021、終了でーす。 4月後半~8月までの翻訳大繁忙期が終わり、「何にも追われていない」状態がなんか怖い笑 朝起きて、仕事、昼食べて仕事、夜食べて仕事、風呂入って仕事、キリがよくなったら寝る、 朝起きて…が約100日続いたんだもの。 何にもすることがない不思議。 自由?自由!自由だ~~! どうしよ、作詞しようかな、ピアノ弾こうかな、物語書こうかな、とりあえずブログ書くか~、 映画観ようかな、ジョギングでも始めようかな、文庫本読もうかな、わーやりたいこといっぱい。 ということで、まずは、ステント交換です。 胃と肝臓をつなぐステントさんの寿命がやってきました。 約4か月、もう少し長く持てばいいのだけどね(技術の進化に期待)。 こんな時期に東京に戻るのは、なかなか勇気がいるものです。 でも通常医療を予定通り行ってくれる病院に感謝して、入院しました。 病院入るのにPCR受けて、病院から家に帰るのにPCR受けて、去年からPCR検査を何度受けただろう。 まさか2年目になっても