古いブログから ~東日本大震災、体験記④

March 10, 2016

2011/07/19 08:12

 

ぐちゃぐちゃになった家で、必要なものを探すのは大変だった。何しろ既定の場所に既定ものがないのだ。棚に入っていたはずの軍手がトイレの前で手を降っていたり、ウォークインクローゼットの中でワンピース達が重なり合って生き絶えていたり。緊急用ラジオを散乱したもののなかから見つけるのも苦労した。しかしいつもぎゃあぎゃあまとまらない家族3人でも緊急事態となれば力を合わせることができるのだ。リビングには生きるために必要なものだけが集結した。

あっという間に暗くなってきた。

17:40 再びサンクスへ
水が出ない。食料もいつまで持つか分からない。不安に煽られて母と二人で再びサンクスに向かった。15階から非常階段を下りている間、何度も大きな余震が来た。怖くて怖くてしょうがなかった。
サンクスには長蛇の列ができていた。地震直後にもっと買うべきだったと後悔した。
すでにミネラルウォーターや乾電池は売り切れ、棚にいっぱい並んでいたはずのパンやお菓子も少なくなっていた。雑誌と酒ばかり残っている。店員がジュースの在庫をすべて出してくれた。私たちはお茶と少しのお菓子を選んで列に並んだのだが、並んでいる間に大きな余震が来て外に飛び出した。店員が「落ち着いてください、大丈夫です!」と言って落ち着かせてくれた。
少しばかりの食料を買って再度15階まで登る。すると、隣の住人が廊下に出ていた。
「大丈夫でしたか?」母が言う。
地震の時、部屋にいたそうだ。さぞかし怖かっただろう。飼っているうさぎをぎゅっと抱きしめてずっとソファの上にいたそうだ。
「夫が仙台港の近くで働いているから心配で・・・」
海のほうで何かが燃えていた。ヘリコプターが音を立てて飛んでいた。
かなり大きな津波が来たことは分かったが、具体的に何が起きているのか、その時はまだ知る由もなかった。

18:00頃
家に戻るともう辺りは薄暗く、夜がそこまで来ていた。リビングのローテーブルにあるだけの食料をのせ、何年も使っていなかったラジオをつけ、ろうそくを一本立てた。父親がどこかからガスボンベを1本見つけてきた。どうしても寒くなったらこれで暖をとりトーストを焼くと。家には石油ストーブがない。電気が戻るまでエアコンが使えない。

ダイニングテーブルを壁によせ、できたスペースに布団を3枚引いた。家族3人川の字になって寝るのは何十年ぶりだろう。それは懐かしく、そして異常な光景だった。

19:00頃
不安ばかりが募るが、一体どうすればよいのか分からなかった。余震がくるたび15階は大げさに揺れるため、マンションから徒歩1分の場所にある小学校の体育館に避難したほうがいいかもしれない。母と二人でもう一度15階から非常階段を降り、体育館の様子を見に行った。懐中電灯を持って歩いたが、小学校までの道は完全な闇だった。夜の怖さをひしひしと感じながら二人で歩いて、灯りがもれる体育館へ向かった。扉を開けると、そこは人でごったがえしていた。「家の中にいたら危ない」「みんながいるところがいい」「怖い」「情報がほしい」感じることはみんな同じだった。しかし、ダンボールの上に雑魚寝する人、寝る空間もなくパイプ椅子に座る人を見て、我々は家に帰ることに決めた。
「まだ家が建っているだけましだよね」

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