豆電球でありたい、その意味

December 10, 2016

 

今年は大きな変化がありました。

目に見える部分でも、目に見えない部分でも。

特に後者の変化が、私を生かしてくれました。

 

感情の波、がまさに津波のように、ざーーーっとひいてざーーーーと押し寄せて。そんな毎日でした。浮き沈みの日々の中で、こんなこと言うと、若造のくせによく言うよと思われるかもしれないけど、

「愛」というものを感じられるようになった。

心臓の壁の成分が変わったような感覚。

 

悲しみを入れた瓶、寂しさの瓶、不安の瓶、あきらめの瓶...

両手に抱えて、鞄にもいっぱい入ってて、重くて重くて途方にて暮れていた。

 

でも、気づいた。

不変のものが、すぐそこにあって、いつでも優しく包んでくれること。

かまえたり、偽ったり、着飾ったりせず、だばーーんと飛び込める、ふかふかの落ち葉のカーペットのようなもの。
それは、音楽。

それは、仲間や家族。フルサトだったり、新しい出会いだったり、それらの集合体。

ああ、これが愛なんだなあと気づけたのでした。

 

昔はね、怒り、後悔、くやしさ、寂しさ、悲しみ、不安、ネガティブの感情を無理矢理燃やして、Fuelにしていた。ネガティブ燃料。

かれらは、一気に燃え上がって、一瞬ものすごい赤い光を発して、世界を照らすんだけど、何も残してくれない。心に残るものは、空虚な残り跡だけ。

 

今年、かれらを直接燃やさなくなった。

そうか、私の悲しみはこんな色してるんだなあ、寂しさってこんな風に増えるんだなあと、一つ一つ手に取ってあげれるようになった。少し可愛いとさえ思える時もあった。

そんで、ネガティブを抱えたまま、優しさのカーペットに寝っ転がれるようになった。

染み込んでいく感じ。

溶けていく感じ。

その時に発される光が、豆電球のような弱弱しくも優しいオレンジ。

小さな力だけど、確かに、私を生かしてくれる。

 

もしかしたら、私が抱えるネガティブたちの総量は増えているのかもしれない。でも優しさのカーペットはね圧倒的な深さで、受け入れてくれるのです。甘えちゃいけないんだけど、ここんとこ甘えすぎなんだけど、その偉大さに気づけたことが嬉しくて。幸せだなって思えるようになった。自慢したい。すごい自慢したい。

 

それでも、今も、己の弱さゆえ、流されるように生きてしまっているけど、

痛みとか寂しさを、そういうものをすんなり受け入れられるようになった。

ごちゃごちゃで不安で絡まってる自分を、ちょっとだけ愛せるようになったと思う。

 

まず自分を愛したい。

そして愛をあげれるようになりたい。

まだまだだけどね、変わっていくよ、私。

 

誰かの豆電球でありたい、の意味は、そういうこと。

 

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